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Posted by ミリタリーブログ at

2020年02月21日

俺はこうして飯盒を入手した 後編



記憶が曖昧なので記録を確認したところ、前編で書いたイベントは2013年で、2016年にも俺は同様のイベントに参加しているようだ。
飯盒の入手であるが、松崎商店にオリーブグリーンで塗装された兵式ハンゴーが売ってたのでこれを買おうと思っていたところ、店頭から姿を消した。
結果として、イシハラさんから譲って貰った。
俺が某車雑誌のライターをやってた時の編集担当がイシハラさんなのだが、現代の木谷利一郎とも言うべき男で、2013年の時はお務めに行っておられたが、その後娑婆に復帰して2015年のこの戦場は南方からこの種のイベントに参加されている。
話が脱線したが、イシハラさんがネットオークションで刻印を確認して軍用飯盒だと思い入手したら、蓋のみがオリジナル塗装の軍用実物で、中盒と本体は戦後の民生品だったという個体を持て余していたので、これを俺が買い取ったのである。
2016年のイベントで飯盒を供出して、蓋、中盒、本体とバラバラに返却してもらった後、どれが自分の物か分からなくなり、識別に苦労した。
イベント終了後に、記名しようかと思ったが、蓋は戦中のオリジナル塗装だから記名するのも気が引ける。
結論からいうと、俺が自分の飯盒を識別出来なかったのは、飯盒に愛着を感じず押し入れに仕舞い込んでいたからであり、常に手元に置き、たまにはガスコンロで炊飯をするなど、飯盒に愛情を持って接することで、塗装のハゲやムラや、キズなどの位置を熟知して自らの飯盒を識別できるようになったのである。
ガスコンロでの炊飯のやり方は諸説あるが、俺は始めチョロチョロ中パッパではなく、沸騰して蓋が持ち上がるまで強火で煮て、その後は弱火にして2合の場合は10分程度で水の対流音が無くなりパチパチという音しか聞こえなくなるので火を止め、しばらく蒸らすと言った感じだ。
次回、番外編に続く。  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 18:52Comments(0)

2020年02月18日

俺はこうして飯盒を入手した 前編


第2回および第3回この戦場は南方が開催される以前、同じ場所で日米戦をテーマにしたイベントが複数回開催され、俺もこれに何度か参加したことがある。
俺はキャンプが死ぬほど嫌いなのと、どちらかというと欧米人顔・体型で日本軍の服装が似合わないので、最初の二回は米軍側で日帰り参加していたが、途中から日本陸軍で泊まりで参加するようになった。
新大久保の居酒屋で友人から紹介してもらった船乗りの方が、日本軍で参加し糧食も担当されると聞いて、俺も同行しようと思ったからだ。
そして日本陸軍として初参加した際、俺は飯盒を持っておらず、その不便さを実感した。
なぜ飯盒が必要と思ったというと、全員分の飯盒を集めて炊事や配食に使用したからだ。
以下は当時の回想となる。
俺は夜間斥候に出るのが嫌なので、烹炊所の作業を手伝うことにした。
炊事班長さんに言われるままに、飯盒に入れた米に水を注いで手でかき回して水を捨ててからまた水を入れたり、
その他、炊事班長さんが食事を作るのを補佐するような作業に従事した。
また、缶詰の缶を蝋燭の台に使うための準備を命じられ、缶を開けて中身の魚を椀や皿に移し、缶を水洗いして、大天幕まで持っていった。既に斥候行動は終了しており、分隊員の皆さんは天幕に戻っていた。蝋燭の箱のそばにいた方に缶を渡して蝋燭を立てて天幕内の灯りにして欲しい旨をお伝えした後、烹炊所に戻った。
 そしていよいよ夕食だ。円匙の柄を使って複数の飯盒を運び、移動中に落とさないように細心の注意を払いながら、大天幕に到着した。
その後は、分隊員の皆様に配食を行い、食事の後、炊事班長さんが沸かした熱湯を利用して食器を洗浄した。

その日の作業をすべて終了した後、大天幕内の就寝位置に座っていると、麦酒を飲んで宴会を実施すると下士官に言われた。
禁酒禁煙がモットーの俺としては、麦酒は遠慮しておこうと思っていたら、炊事班長さんが麦酒の代金は全て自身の奢りだという有難い言葉を発せられ、
また下士官が無言で栓を抜いた麦酒を俺に手渡して来たので、同調圧力に抗うことは出来ず一本だけは飲もうと思い、一瓶を時間を掛けて飲み干した。
寝る前に炊事班長さんが6時半に起こしてくれと、誰に言うとは無しに言ったので、俺はその言葉を脳裏に刻み込んだ。

3時過ぎに目が覚めて時計を確認してから、ほぼ一時間毎に寝ては時計を確認して再び寝るを繰り返し、
6時前に本格的に起きて、荷物の整理をした。
隣にいたXさん(後の、この戦場は南方の主催者)も既に起きていて、俺がガサガサやっているのを咎めて、「(他の人が寝ているので)怒られますよ」と言われたが、
事前に炊事班長さんから、他人の騒音と寝相に文句をつけることはこの大天幕では許されていない旨を聞いていたので、
極力音を立てないように配慮はしつつも、ガサガサと準備を続けた。
そして、俺は天幕内で仁王立ちになり肌着を着替えた。靴下も替えようと思って新品のものを持参していたが、
昼食の配食用に新品の靴下を供出するように炊事班長さんに言われていたので、靴下は履き替えずに前日と同じものを履いたままにした。
そして、6時半、俺はXさんに炊事班長さんを起こすように頼んで、石鹸箱を持って天幕を出た。
水場で顔を洗ってから顔を上げると、烹炊所に炊事班長さんとXさんの姿が見えたので、俺も慌てて駆けつけて、朝食の準備を手伝う振りをした。
7時前に炊事班長さんに天幕前に戻るよう言われ、炊事班長さんに引率されて戻った。


炊事班長さんが昼食としての携行食の配分を行うと言うので俺も呼ばれ、靴下に携行食を分ける手伝いをした。
また烹炊所から天幕前まで朝食を運ぶので、2名を連れてくるように指示を受け、俺は駆け足で天幕まで戻った。
天幕前には2名の参加者の方が待機していたので、朝食を運ぶので軍手の用意をお願いして、烹炊所まで同行した。
烹炊所には班長さんの姿はなかったが、携行食の配分作業が途中であったので、作業を継続した。
そうこうするうちに班長さんが戻り、4人で朝食を天幕前まで運搬。班長さんと私はそのまま配食作業を行った。

このイベントの時、あんたは飯盒を持っていないのかと炊事班長さんに指摘されたことが、俺に飯盒購入を決意させたのである。
  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 09:08Comments(0)

2020年02月11日

防暑衣の複製品を手直しした


いわゆる昭和五年制といわれる、腰部物入が貼り付けの防暑衣の複製品を俺は所有している。
2000年代中盤に国内の業者さんが企画し発売したものである。
これについて、実物と違う形状であるという指摘をいただいた。
そこで、先月の物販イベントで外園組さんから購入した複製黄銅ボタンを縫い付けるついでに、襟周りなど若干の手直しを行なった。

この複製の相違点は主に次の5点とのことである。
1襟部フックの取り付け状態
2襟裏の力切糸の有無
3胸部物入の襞の裏側の折り込み形状。
4腰部物入の上縁の形状
5繃帯包入の有無

このうち1と2と5について手作業の範囲で改善を試みることとした。
実物を所有してないので、伝聞と推定の範囲での理解により、作業を行なった。
フックの取り付けについては、やりなおした。




襟裏に数条走る力切糸を除去。





繃帯包入は除去するのではなく、左腰部物入の下部に露出した縫目のみを除去した。
これで繃帯包を入れなければ、外見からは繃帯包入が有るとはわからない。
この衣を着ている時は、繃帯包は腰部物入に入れていたのではないかと推測する。



いわゆる昭和十三年制といわれる、この次のタイプの防暑衣は襟裏力切糸と繃帯包入が追加され、また襟部フックの向きや取り付け状態も改められたようだ。

この程度の改善は自己満足の範疇であり、これで劇的に複製品の再現度が上がったというわけではない。
しかし、複製品は所詮複製品であるので、有る程度は割り切らざるを得ない。
勿論、再現度は高いに越したことはないが、野外での活動に用いるのが目的なら、個人的には5〜10メートル離れてよほどの違和感を感じなければそれで十分で、さらなる細部へのこだわりの追求は個々人それぞれの価値判断に委ねてよいと思う。

複製品の精巧なものは極めて実物に近づくものであっても、実物そのものにはなり得ないし、逆に実物はできが悪くても実物である。
実物を所有していると、複製品との相違点を実感でき、その相違を承知で複製を使用するなら、ある程度の再現度なら複製の至らぬ点も許容できると思う。
究極の複製品があればそれで良いのだが、多くの場合、複製のみでリアルさを追求しようとすると、Aを買い満足いかずBを買う、さらに再現度の高いCが出たのでそれを買う、しかし平均点ではCが上だがある部分ではBのが上だ、価格とのバランスを考えるとAも捨てがたい…などといったジレンマに陥ったりもするのではなかろうか。

まあ俺もこの衣の実物は所有してないどころか、現物を見たこともないので偉そうなことを曰う資格は無いのであるが。
  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 20:34Comments(0)

2020年01月18日

鉄帽偽装網を買う

前回に引き続き、先週の即売イベントでの購入品の紹介である。
以前紹介したように、俺は濃緑色に染めてもらった鉄帽偽装網を使用しているが、
先日知人から、昭和15〜17?年頃(正確な年代は失念)の製造品は三色偽装網で、濃緑の偽装網はその後の時期に製造されたものになると指摘された。
では15年ごろより前はどうだったのかと尋ねると、さまざまな色調の網が使用されていたとのことである。

それを聞いて俺は、濃緑以外の単色の複製偽装網が欲しくなった。
SNSで調査してみると、外園組という個人ディーラーで複製を扱っているとの情報を得た。
外園組といえば、三色迷彩の鉄帽偽装網や身体偽装網の複製で有名だが、単色を製作しているとは思わず、ノーマークだった。俺としたことが、とんだイージーミスだ。早速、即売会に足を運び、現物を購入させていただいた。


なお、外園組が販売している複製の飯行李用網に、防水加工を施して片側を絞って結び、鉄帽偽装網とするのもよいと教えていただいた。  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 15:39Comments(0)

2020年01月13日

剣身の脱落防止


物販イベントで「剣止め」を購入した。
ケントメと言っても、衣や雨衣、外套の左脇についている剣留ではなく、牛蒡剣の剣身の脱落防止のためのものである。


「陸軍用語よもやま物語」(比留間弘氏著作、光人社)に掲載されていたのを読んでその存在を知り、以前は竹製の箸置きを改造して自作したものを使用していた。
しかし、当時俺が使用していた牛蒡剣は、新聞の通販広告で鉄帽と一緒に売っていた剣身切断品であり、この種の剣止めでは脱落防止効果はなかったので、結局はタコ糸でグルグル巻きにして抜けない様にせざるを得なかった。
10年前ほど前に剣身つきの牛蒡剣の玩具を購入したので、再びこの種の剣止めの必要性を感じて自作しようと思ったものの、適当な材料が手近に無かったのでそのままにしていた。
そして、参加した野外イベントで、剣身脱落事故を起こしたため、今回、購入の意志を固めたのである。

今回の剣止めの製作者は、以前から物販イベントや映像作品で見かけていた方であるが、第3回日華イベントで、初めてご本人とお話をさせていただき、これも何かの縁であろうと購入させていただいた。
俺は満足だった。  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 10:13Comments(0)

2020年01月08日

第2回この戦場は南方の思い出


【到着から朝飯まで】
俺はハイエースで会場に到着した。
既に初日の状況は始まっていたのか、他の参加者の姿は見えなかった。
到着後、財布をなくした人の財布捜索をしたり、ハイエースに同乗していた出店者の方のテント設営を手伝ったりした。
そのうち、他の参加者達も戻ってきた。
俺は、とくにやることもなく、ミシンを持参されていた出店者の方に雨衣を補修していただいたりしているうちに焼肉が始まった。俺は扇子で炭火を扇いだり、ジャックダニエルを飲んで泥酔者の演技をした。

翌朝起床、炊事班長が朝食の支度をすると思い、俺は厨房側に待機した。俺の他に、徴兵年限前の志願兵と思われる若い兵もその場で待機していた。そして炊事班長の指揮下で火の番やらの軽い雑用に従事した。
何かを探しに俺と志願兵が本部裏を通過したとき、主催が志願兵を呼び止めたが、彼にはそのまま炊事補佐を続行してもらい、俺が代わりに本部裏で火薬の小分け業務に従事した。
主催に命ぜられた作業を完了後、俺は炊事場に復帰した。木箱による配食台を設置しなければならないが、前夜の焼肉に使った炭火コンロが放置してある。
炊事班長は他の参加者にコンロを片付けさせるよう、俺に命じた。同じ参加者の立場の俺が他の参加者に命令するのは角が立つかと思い、暇そうにしていた小隊長殿に頼んで、コンロを片付けるよう参加者達に呼びかけてもらった。

班長、俺、志願兵の順に並んで皆さんへ配食を実施した。 一人当たりに配布するオカズの分量を炊事班長が勘違いして俺に指示を出したようで、途中で足らなくなる見込みに気づいた俺は班長の指示を仰いだ。結局、配布した分を回収して適切な分量にしてから再配布した。

【編成から出発まで】
朝食後、集合し編成を下達される、俺は第二分隊だった。分隊長は炊事班長を務めていた方だった。
編成後、米軍は陣地に移動。
われわれは移動まで一時間の猶予があったので、俺は日陰で寝た。
集合時刻に集合。分隊の備品?として、円匙、日章旗、毛布を持参することになり、円匙と旗は俺が、毛布はイシハラさんが分担。容量のでかい新型雑嚢を用意しといてよかった。弾薬と携行食を配布後、出発した。

【斥候と敵陣地】
現地着、そこで班編成が分隊長から下達される。
俺はイシハラさんと二人1組となり斥候へ。帰投後、米軍陣地鉄条網発見と、米軍が一分隊の斥候と思われる対象に発砲していたことを分隊長に報告(鉄条網の材質については、海兵隊参加者のツイッターにより前日時点で把握していた。当日に見てびっくりという仕掛けにするのなら、情報統制をすべき)した。
その後、分隊から二組ほど斥候が出る、その間、立哨やら食事やらで時間が過ぎていく。

【鉄条網の開破】
一分隊と同時に鉄条網開破を行う旨が予定時刻とともに分隊長から下達。時刻に前進、俺は鉄線鋏を持ったkさんの補佐をする。鉄条網の予定位置前に前進。kさんが切断を実施、俺は切断され垂れ下がった右のワイヤーを引っ張り地面に刺す。kさんが「鉄条網開破」を宣言。いや、まだだ、左のワイヤーが垂れ下がっている。俺はワイヤーの処理に向かった。
ここで判断ミスを犯した。ワイヤーを手前に引っ張ればよいのに、林縁を越えて道路上に引っ張ってしまい、身体を露呈し火線に晒された。俺としたことがとんだイージーミスだ。
改めて俺が「鉄条網開破」を宣言した瞬間、火線に捕らえられ、背中に熱いものがほとばしった。俺はゆっくりと崩れ落ちた。これで上等兵に昇進できる、家族にも恩給がつく、俺は満足だった。
このまま状況終了まで寝ていようと思いきや、分隊長が「引っ張ってこい」と怒鳴り、kさんが俺の身体に手をかけて引っ張る。
そのまま戦列に復帰。突撃が下達され、道路を越えて丘を駆け上る。ああ、これはどこかでみた光景だと思った。俺は満足だった。  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 19:57Comments(0)

2019年12月28日

鉄帽の内張について問い合わせた

年の瀬も押し迫ってきた。


鉄帽内張を点検していて、三枚革を縫い合わせた鉄帽のベロに糸の切れがあったことは前に書いた。
他のものも参考にしようとネット検索してみたところ、実物、他者製造のレプリカ、そして俺のと同一製作者によるレプリカまで、鉄帽内張のベロは一枚革となっている。
三枚革は一枚革に比べて
縫い合わせる手間が増える
縫い目が増えるので、壊れる可能性のある場所が増える
ということになる。
なぜ製作者にとっても手間がかかる三枚革にしたのか、製作者本人に問い合わせてみた。
「実物は一枚革だけでなく、二枚革や三枚革もある。一枚革の複製しかないので三枚革にしてみた」
とのことであった。
修理の手間がかかるがしかたがない。

年内の更新は今回で終了である。
毎週更新は年内いっぱいと決めていたので、
次回からは原則、不定期更新となる。
不定期といっても、可能な限り毎週ぐらいの頻度で更新したいが、ネタ切れが見えてきているので、そのうち放置ブログとなるであろう。  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 09:41Comments(0)

2019年12月23日

総括 第3回日華イベント


第3回日華イベントが閉会して編成解除となり送迎車を待つ間、自分の所属分隊の分隊長と軽く反省会を行なった。
分隊長と俺で意見が一致したのは
「分隊員の方々には、斥候や敵前での警戒や敵への射撃など、なんらかの任務に基づく行動を経験していただいたが、こうした経験を通じて少しでも達成感や充足感を感じていただき、再びこの種のイベントに参加したいと思っていただければ幸い」ということだ。

そして是非、来年も日華イベントも開催していただきたい・・・と言いたいところだが、主催者の方の物心両面の負担を考えると無責任な俺の立場から無理は言えないので、これまでの開催について感謝の意を表するのみにしておく。

以下は個人的感想。
規定が緩いイベントというのは、緩くても規定自体は守るべきであり、規定を破っても良いという緩さでは無いと思う。
例えば第3回日華の日本陸軍のレギュレーションにおいて
銃剣は「持ってない方…参加可能ですができれば頑張って入手してください」、防毒面嚢は「無くても参加可能です」とあるので、これらが無くても違反では無い。
しかし「縫い付けてください」とある胸章を省略したり、逆に「不可」と明記してある織り出し襟章を付けていたりと、規定を守らずに参加するのはいかがなものかなと思う。主催者の方は入手しやすさ等も考慮して現実的な落とし所を反映した規定を、3ヶ月前に公表しているので、決して無理なハードルでは無いはずだ。
イベント終了後、集合写真を眺めていて、このような感想を抱いた。
  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 00:28Comments(0)

2019年12月15日

第3回日華の事後処理4 巻脚絆

俺は第3回日華事変イベントで、複製のカーキ巻脚絆を破損し、後日廃棄した。
次の日華イベントに備え、新たに巻脚絆を購入する意志を固めた俺は、前から気になっていたカーキ色巻脚絆の複製品を、ネットオークションで購入した。


実物は規定上ワンサイズだが、こちらの複製は複数サイズあるので、俺の体格に合わせたものを見繕っていただいた。


色調の比較のため今回の購入品を、手持ちの明緑カーキ色およびOD色の実物巻脚絆と並べてみた。


こちらの左側は、中田商店製のOD色巻脚絆で第2回および第3回この戦場は南方で着用したものだ。実物OD色巻脚絆と比較のため並べた。複製品なので破れるまで酷使したい。

野外イベントでの着装では、俺は実物ではなく複製品の巻脚絆を使用するので、こうしたラインナップは大変ありがたいと思う。
  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 14:10Comments(0)

2019年12月07日

第3回日華の事後処理3 鉄帽内張の補修

第3回日華イベントを終えて、装具を点検していると、鉄帽の内張(複製品)の、クッションを入れる袋の口を結ぶ紐が千切れていることに気づいた。


そこで内張の製作者から平紐を取り寄せ、自分で補修することにした。


平紐を差し込む部分の糸を切る。
そして平紐を差し込む。


糸で縫い合わせる。


本来は革細工用途の亜麻糸を用いるべきだが、兵士が現場で素人補修したとの設定で糸巻きに巻き付けていたボタン用の綿糸(複製品)を使用した。
一応の完成を見た。




他にも酷使と経年にともなう劣化による糸切れを認めたので、これも順次補修していく事とした。


現状、週一回更新のブログの題材とするために、今回は手を動かさないといけなかったのが面倒だ。その反面、更新しなければならないとの強迫観念に駆られて、先延ばしにしがちな作業に取り組むことができたので、良しとしたい。
  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 14:49Comments(0)