2020年02月18日

俺はこうして飯盒を入手した 前編

俺はこうして飯盒を入手した 前編
第2回および第3回この戦場は南方が開催される以前、同じ場所で日米戦をテーマにしたイベントが複数回開催され、俺もこれに何度か参加したことがある。
俺はキャンプが死ぬほど嫌いなのと、どちらかというと欧米人顔・体型で日本軍の服装が似合わないので、最初の二回は米軍側で日帰り参加していたが、途中から日本陸軍で泊まりで参加するようになった。
新大久保の居酒屋で友人から紹介してもらった船乗りの方が、日本軍で参加し糧食も担当されると聞いて、俺も同行しようと思ったからだ。
そして日本陸軍として初参加した際、俺は飯盒を持っておらず、その不便さを実感した。
なぜ飯盒が必要と思ったというと、全員分の飯盒を集めて炊事や配食に使用したからだ。
以下は当時の回想となる。
俺は夜間斥候に出るのが嫌なので、烹炊所の作業を手伝うことにした。
炊事班長さんに言われるままに、飯盒に入れた米に水を注いで手でかき回して水を捨ててからまた水を入れたり、
その他、炊事班長さんが食事を作るのを補佐するような作業に従事した。
また、缶詰の缶を蝋燭の台に使うための準備を命じられ、缶を開けて中身の魚を椀や皿に移し、缶を水洗いして、大天幕まで持っていった。既に斥候行動は終了しており、分隊員の皆さんは天幕に戻っていた。蝋燭の箱のそばにいた方に缶を渡して蝋燭を立てて天幕内の灯りにして欲しい旨をお伝えした後、烹炊所に戻った。
 そしていよいよ夕食だ。円匙の柄を使って複数の飯盒を運び、移動中に落とさないように細心の注意を払いながら、大天幕に到着した。
その後は、分隊員の皆様に配食を行い、食事の後、炊事班長さんが沸かした熱湯を利用して食器を洗浄した。

その日の作業をすべて終了した後、大天幕内の就寝位置に座っていると、麦酒を飲んで宴会を実施すると下士官に言われた。
禁酒禁煙がモットーの俺としては、麦酒は遠慮しておこうと思っていたら、炊事班長さんが麦酒の代金は全て自身の奢りだという有難い言葉を発せられ、
また下士官が無言で栓を抜いた麦酒を俺に手渡して来たので、同調圧力に抗うことは出来ず一本だけは飲もうと思い、一瓶を時間を掛けて飲み干した。
寝る前に炊事班長さんが6時半に起こしてくれと、誰に言うとは無しに言ったので、俺はその言葉を脳裏に刻み込んだ。

3時過ぎに目が覚めて時計を確認してから、ほぼ一時間毎に寝ては時計を確認して再び寝るを繰り返し、
6時前に本格的に起きて、荷物の整理をした。
隣にいたXさん(後の、この戦場は南方の主催者)も既に起きていて、俺がガサガサやっているのを咎めて、「(他の人が寝ているので)怒られますよ」と言われたが、
事前に炊事班長さんから、他人の騒音と寝相に文句をつけることはこの大天幕では許されていない旨を聞いていたので、
極力音を立てないように配慮はしつつも、ガサガサと準備を続けた。
そして、俺は天幕内で仁王立ちになり肌着を着替えた。靴下も替えようと思って新品のものを持参していたが、
昼食の配食用に新品の靴下を供出するように炊事班長さんに言われていたので、靴下は履き替えずに前日と同じものを履いたままにした。
そして、6時半、俺はXさんに炊事班長さんを起こすように頼んで、石鹸箱を持って天幕を出た。
水場で顔を洗ってから顔を上げると、烹炊所に炊事班長さんとXさんの姿が見えたので、俺も慌てて駆けつけて、朝食の準備を手伝う振りをした。
7時前に炊事班長さんに天幕前に戻るよう言われ、炊事班長さんに引率されて戻った。


炊事班長さんが昼食としての携行食の配分を行うと言うので俺も呼ばれ、靴下に携行食を分ける手伝いをした。
また烹炊所から天幕前まで朝食を運ぶので、2名を連れてくるように指示を受け、俺は駆け足で天幕まで戻った。
天幕前には2名の参加者の方が待機していたので、朝食を運ぶので軍手の用意をお願いして、烹炊所まで同行した。
烹炊所には班長さんの姿はなかったが、携行食の配分作業が途中であったので、作業を継続した。
そうこうするうちに班長さんが戻り、4人で朝食を天幕前まで運搬。班長さんと私はそのまま配食作業を行った。

このイベントの時、あんたは飯盒を持っていないのかと炊事班長さんに指摘されたことが、俺に飯盒購入を決意させたのである。





Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 09:08│Comments(0)
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