2020年01月08日

第2回この戦場は南方の思い出

第2回この戦場は南方の思い出
【到着から朝飯まで】
俺はハイエースで会場に到着した。
既に初日の状況は始まっていたのか、他の参加者の姿は見えなかった。
到着後、財布をなくした人の財布捜索をしたり、ハイエースに同乗していた出店者の方のテント設営を手伝ったりした。
そのうち、他の参加者達も戻ってきた。
俺は、とくにやることもなく、ミシンを持参されていた出店者の方に雨衣を補修していただいたりしているうちに焼肉が始まった。俺は扇子で炭火を扇いだり、ジャックダニエルを飲んで泥酔者の演技をした。

翌朝起床、炊事班長が朝食の支度をすると思い、俺は厨房側に待機した。俺の他に、徴兵年限前の志願兵と思われる若い兵もその場で待機していた。そして炊事班長の指揮下で火の番やらの軽い雑用に従事した。
何かを探しに俺と志願兵が本部裏を通過したとき、主催が志願兵を呼び止めたが、彼にはそのまま炊事補佐を続行してもらい、俺が代わりに本部裏で火薬の小分け業務に従事した。
主催に命ぜられた作業を完了後、俺は炊事場に復帰した。木箱による配食台を設置しなければならないが、前夜の焼肉に使った炭火コンロが放置してある。
炊事班長は他の参加者にコンロを片付けさせるよう、俺に命じた。同じ参加者の立場の俺が他の参加者に命令するのは角が立つかと思い、暇そうにしていた小隊長殿に頼んで、コンロを片付けるよう参加者達に呼びかけてもらった。

班長、俺、志願兵の順に並んで皆さんへ配食を実施した。 一人当たりに配布するオカズの分量を炊事班長が勘違いして俺に指示を出したようで、途中で足らなくなる見込みに気づいた俺は班長の指示を仰いだ。結局、配布した分を回収して適切な分量にしてから再配布した。

【編成から出発まで】
朝食後、集合し編成を下達される、俺は第二分隊だった。分隊長は炊事班長を務めていた方だった。
編成後、米軍は陣地に移動。
われわれは移動まで一時間の猶予があったので、俺は日陰で寝た。
集合時刻に集合。分隊の備品?として、円匙、日章旗、毛布を持参することになり、円匙と旗は俺が、毛布はイシハラさんが分担。容量のでかい新型雑嚢を用意しといてよかった。弾薬と携行食を配布後、出発した。

【斥候と敵陣地】
現地着、そこで班編成が分隊長から下達される。
俺はイシハラさんと二人1組となり斥候へ。帰投後、米軍陣地鉄条網発見と、米軍が一分隊の斥候と思われる対象に発砲していたことを分隊長に報告(鉄条網の材質については、海兵隊参加者のツイッターにより前日時点で把握していた。当日に見てびっくりという仕掛けにするのなら、情報統制をすべき)した。
その後、分隊から二組ほど斥候が出る、その間、立哨やら食事やらで時間が過ぎていく。

【鉄条網の開破】
一分隊と同時に鉄条網開破を行う旨が予定時刻とともに分隊長から下達。時刻に前進、俺は鉄線鋏を持ったkさんの補佐をする。鉄条網の予定位置前に前進。kさんが切断を実施、俺は切断され垂れ下がった右のワイヤーを引っ張り地面に刺す。kさんが「鉄条網開破」を宣言。いや、まだだ、左のワイヤーが垂れ下がっている。俺はワイヤーの処理に向かった。
ここで判断ミスを犯した。ワイヤーを手前に引っ張ればよいのに、林縁を越えて道路上に引っ張ってしまい、身体を露呈し火線に晒された。俺としたことがとんだイージーミスだ。
改めて俺が「鉄条網開破」を宣言した瞬間、火線に捕らえられ、背中に熱いものがほとばしった。俺はゆっくりと崩れ落ちた。これで上等兵に昇進できる、家族にも恩給がつく、俺は満足だった。
このまま状況終了まで寝ていようと思いきや、分隊長が「引っ張ってこい」と怒鳴り、kさんが俺の身体に手をかけて引っ張る。
そのまま戦列に復帰。突撃が下達され、道路を越えて丘を駆け上る。ああ、これはどこかでみた光景だと思った。俺は満足だった。





Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 19:57│Comments(0)
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