2019年10月18日
日華事変イベントに参加する

ようやく秋も深まってきて涼しい日が続くようになった。
夜半、明け方などは肌寒いくらいである。
第3回この戦場は南方の参加者の方が、来月に第3回日華事変イベントを主催するので俺も参加することにした。
実は同じ方が主催した第1回日華事変イベントに参加したことがある。
当初は昭和12年の設定と聞いて、昭和12年の装備は規格低下品や代用品もなく、ハードルが高いと思っていた。
しかし、同イベントの規定を見てみると、意外にも自分が持っているものでいけるではないかと気づいた。
なるべく多くの人に門戸を開くべく、主催の方がレギュレーションについて配慮したのであろう。
この戦場は南方が分隊行動に主眼を置いたイベントなら、第1回日華は装備の統制に主眼を置いたのではないかと思える。そして厳密な再現というよりも、より多くの参加者による統一美を実現すべく、主催の方なりの解釈で規定を緩和したといえる。
俺は昭和16年以降を設定としたイベントに参加するべく装備や被服を購入していたが、やや古い時代にも遡れるよう、旧制式の夏衣や差込尾錠で開閉する雑嚢なども入手していた。それでレギュレーションを賄えたことが第1回日華事変イベントへの参加動機となったのである。
唯一足らなかったのが、歩兵科の緋色の襟章である。旧制式の被服や装備は多少後の時代でも使えるが、さすがに定色絨の襟章は昭和13年で廃止だろうと入手していなかった。
しかし、イベントに参加するためにこれを購入した。
当日は第2回この戦場は南方で同じ斥候組だったイシハラさんと東京駅ホームで合流し現地へ向かった。会場の最寄駅で、中国軍参加の顔見知りの方と会ったのでタクシーを相乗りしようと思ったが、お互い荷物が多く厳しそうだ。幸い、もう1人参加者の方が現れたので、2名ごとに分かれてタクシーに分乗した。帰途は現地で会ったYちゃんに送ってもらった。
現地では、号令に合わせて気をつけや休めや、列を整えたり銃を上げたり下ろしたりする動作の練習を延々と指導された。また匍匐の動作も演練した。
その後、彼我に別れてエアーガンによる模擬的な戦闘を行なった。
翌年、同様の設定で第2回が開催されたが残念ながら参加が叶わなかった。
しかし今回、年代設定も新たに第3回となったのである。
https://twipla.jp/events/398551
Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 18:25│Comments(0)
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