2019年08月23日

天幕野営

天幕野営

第2回この戦場は南方では、希望者を対象に大天幕による管理野営が実施された。第3回となった今回は大天幕は無く、各自での野営となった。

主催者の方のブログには
「テント、車中泊など宿泊は各自でお願いします
イベントの趣旨としては携帯天幕での宿泊を推奨しています」
と記載してある。俺はこの趣旨に従うことにした。

そこで、俺は同じ分隊のイシハラさんと2人1組の天幕を設営することにした。
イシハラさんは、第1回この戦場は南方から、今回まで3回連続で参加した日本軍側参加者4名のうちの一人だ(あとの3名は小隊長殿、某一等卒さん、某一等兵さん)。

状況外であること、雨天であること、体調管理を優先すること等を考慮し、厳密な再現には拘らず、地面にビニールシートを敷き、その上に軍用毛布を敷いた。中田商店製の天幕2枚と支柱セット2組を使用し、屋根を設けた。張り綱を張る際には、隣の分隊のKさんにも手伝っていただいた。

酒宴のあと、雨が降り出し、俺は自分の天幕に潜り込み、雨外套を着て毛布にくるまって寝た。
しばらくして酔いが覚めると同時に意識が戻った。
その瞬間、俺は二つの不快感を感じた。
まずは胃の中のものを吐きそうなくらい気色悪い。そして寒い、冷たい風が天幕の開口部から容赦無く吹き込む。
俺はこのまま一夜を我慢しなければならないのか。寒さのあまり、うつ伏せの姿勢をとり、腹を支点に身体を折りたたんだ。

しばらく意識が飛び、また目が覚めた。
二つの不快感は無くなっていた。
胃の中のものは消化したようだ。
寒さは消えて生暖かい風が吹いていた。
俺は厠に向かうため、天幕を出た。2ヶ所、杭が抜けており、天幕の体をなしていなかった。俺が天幕に入る時、酔っ払って引っ掛けたに違いない。杭を打ち直して、天幕の不具合を解消した。
厠から戻って、水を飲もうと思ったら水筒の栓が抜きづらい。状況中にコルクの栓を破壊し、予備として持参した複製品の木栓に替えていのだが、木栓が水を含み膨張していた。俺は力任せに栓を抜き、中の水を飲み干し、水筒を空にして栓をせずに放置した。水を入れたまま朝まで木栓をしていたら本格的に抜けなくなったかもしれない。

時間を確認しようと思ったら腕時計がない。いつのまにか腕から落下したようだ。
そのうち、頭の方から天幕内に、雨が吹き込んできた。さっきの生温い風は降雨の前兆だったのか。
俺は鉄帽を引き寄せて顔に被せて雨を防ごうかと思ったが、面倒になりそのまま就寝した。

さらに時間が経ち、また目が覚めた。その際、天幕の中で自分の腕時計を発見したので時刻を確認したところ、早朝四時だった。
雨は止み、寒さも無く、爽やかな風が吹いていた。
イシハラさんは顔に手ぬぐいを巻いていた。先ほどの吹き込む雨から防御するため無意識に巻いたのであろう。

俺は再び厠に向かった。その際、主催者のワゴン車に明かりがついていたのを確認したが、窓ガラスが曇って中の様子は分からなかった。

天幕に戻り、装具を確認すると、巻脚絆が無い。辺りを捜索すると、天幕の外に放置してあったのでこれを掌握した。

時刻は朝の5時に差し掛かり、空が白んできた。俺はまた厠に向かったところ、主催の車のドアが開いており、米軍に支給する紙の弁当箱を組み立てる作業を行なっていた。手伝いを申し出たが、もう終わるから良いとのことだった。
結局、無断?キャンセルの米軍参加者が1人いたのか、弁当は1組2箱が余ったようだ。作業が無駄になるので、欠席の場合は主催に一報いれるのが望ましいと思う。

俺は再び天幕に戻り横臥した。そして起床時間を迎えた。我々2人は携帯天幕での野営を終えた。これまでの時間で、陣地構築と天幕野営をやり遂げ、俺は満足し、もう帰りたいと思った。しかし、ここで抜けるとイベント進行に支障を来すだろうから、引き続きイベントに参加することとして、主催の指示を待った。
天幕野営





Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 22:26│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。