2019年09月07日

接敵から前哨後退

接敵から前哨後退

早いもので、第三回この戦場は南方から2か月が経過した。朝晩の気温に秋の訪れを感じる。今年も残すところあと4か月である。

二日目の状況開始後の話に戻る。
雑嚢と水筒を外し、昨日掘った壕に入った。分隊長が見回りに来た際には、壕前面の銃座に身体を託し前方を警戒した。分隊長の姿が見えなくなれば、壕の背面にもたれかかり、疲労のため目を閉じ仮眠した。
この日は歩哨に上番しなかったので、前哨のさらに前面に歩哨を出したのかどうかわからない。昨日、歩哨壕を掘ったから、誰かがそこに配置されていたのかもしれない。
俺が最後に時計を確認したのが8時20分。その後、11時ごろまで状況が続くことになる。

しばらく時間が経過した。分隊長は俺を伝令に指名した。
敵3名が前哨前方に跳梁している旨、小隊長に伝えよとのことだった。
俺は水筒と雑嚢を壕に残置していこうかと思ったが、敵が迫っていることもあり、荷物をまとめて伝令として後方に下がった。
結局、これ以降に俺がこの壕に戻ることは無かった。
後方に下がる途中、掩蓋をした壕に兵士2名の姿を見た。彼らに小隊長の位置を問えば、さらに後方とのこと。俺は主陣地の丘を駆け上った。その時、前哨付近から盛んに発砲音が聞こえた。俺の分隊は交戦しているようだった。

後方に駆けた俺は、小隊長の姿を見た。駆け寄り、伝令事項を報告。続いて自己判断であると前置きした上で、分隊は交戦中の模様と伝えた。
小隊長は、分隊は適宜、敵と離隔をとり後退せよ、と伝令事項を俺に告げた。

俺は前哨に戻る途中、主陣地後方に我が分隊の姿を認めた。分隊長に小隊長からの指示を伝えたが、「すでに後退を実施して、こうしてここにいる」とのことであった。

我が分隊は予備の兵力となり、後方での待機となった。
分隊長は、これは状況外の発言だがと前置きした上で、「これから、米軍が側防火器の脅威下で鉄条網を切断するので、しばらく膠着し我々としては待機が長くなる」とのことだった。

そういえば敵の突撃援護の砲撃は無かった。あったかもしれんが、発砲や着弾の現示が無かったため俺は気づかなかった。





Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 00:08│Comments(0)
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