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Posted by ミリタリーブログ at

2019年10月10日

総括 第3回この戦場は南方の趣旨

第3回この戦場は南方の趣旨はなんであろうか。
主催者のブログを今一度読み返してみると、
「分隊による行動体験を行います」
「HIT数を主眼に置く通常のサバイバルゲームとは違い『組織で動く』という行動そのものに主眼を置いてイベントを企画しました」
との記述があった。
上記は第1回開催にあたっての記載事項であるが、その主眼とするところは第3回にも継承されていると感じた。

厳密な装備規定は無いが、実際に参加して行動すると、あれが足りないこれが足らないといったことが体感的に理解できる。水筒が無ければ水が飲めないとか、今回は鉄帽偽装網と円匙を持たずに参加したが、必要性を感じたから次回に備えて用意しようとか、実際に行動を経験することで、そうした気づきが得られるイベントとなったと思う。

このイベントで経験したこと以外にも、兵士の行動には何が必要かということに思考を巡らせれば、歩兵一人の規定の装備が、なぜそのような構成になっているのかが理解できると思う。戦闘だけでなく陣地構築や野営を含めて最低限必要なものであり、かつ自力で持ち歩きできるものということを考えれば、背嚢一式の装具の必要性が実感的に理解できるだろう。

ただ、イベント運営上、限定した状況しかできないので、必ずしも個人装具一式全てがイベント内で活用されるわけではない。しかし、もしも、このイベントに長い距離の徒歩移動や天幕野営、さらには壕での露営などの状況が加わったらどうなるか。この戦場は南方で経験したことをベースに想像力を働かせることで、実際に用意するしないは別として、個人装具一式の意義を実感できるのではないだろうか。

今回、全員が円匙を持っていたわけではないが、「組織で動く」がイベントの主眼であるので、個人としては持参しなくても、分隊内で貸し借りをしながら壕を掘り上げた。障害の資材や土工具も個人では運べないので、組織である分隊で分担して運んだ。

そうした体験を通じて、組織の行動やら、装具の必要性やらを、感じてもらうのが主催の望むところであったのだろう。

また主催のブログには分隊行動を「遊びとしての範疇で」行うとある。
ここで言う「遊び」とは「本気では無い」という意味ではなく、下記のようなニュアンスではないだろうか。
第3回この戦場は南方で俺が経験した、一連の防御の行動は、古今東西の軍隊組織で演習として行われているものを、俺のような知識や経験が浅い者にとっても容易に理解でき行動できるように、噛み砕いたものである。このように軍隊行動をライトにカスタマイズしたものを「遊びとしての範疇」と表現したのではないだろうか。
俺は軍隊の被服を身につけるのが趣味であり遊びだが、集団でそうした遊びを行うとき、各々が無軌道に楽しいと思うことをやるしたら、本当の楽しさを味わう事ができるだろうか?遊びや趣味も一定のルールに基づいてこその楽しさもあるわけで、この戦場は南方の主催者は、第1回で試行的にそのルールを提示し、回を重ねるごとにより良いものとなったのだといえる。


  

Posted by 第3回この戦場は南方参加者 at 18:52Comments(0)